とげほじり

朝一番に茄子のへたの棘が指に刺さった
イラっとして味噌汁作るのをやめた
一日中、じんわり地味に痛い
忘れた頃にちょっと痛い
何かの拍子にふと痛い
針の先より細く小さな棘なのに
その大きさの何倍もの範囲が痛い
痛覚ふざけんなと


これは非常に何かっぽい
人生における何かっぽい


待ち針やら毛抜きやら駆使して
真夜中にご退場願った
思ってたより3倍長かった
そして当然さらに痛くなった

現在地確認

読み返した
最初から最後まで
使われないと劣化して剥がれ落ちるんだなぁ
ポロポロと古い外壁みたいに
語彙が
それらの組み合わせや配列を紡ぎ出す回路が
もとよりまったくもってさほどのものではなかったが


笑えたり
感心したり
かつての固執に同化したり
が少しと
苦笑いしたり
モゾモゾしたり
が大半
いったところ




人の顔面やら二の腕やらを枕にしながら
人の頭髪をSSサイズの手で力強くむしりながら
小さいにんげんがくーくー寝ている


なんか遊び尽くし惑い尽くし
そろそろ頃合いかな
とか思ったか思わなんだか
生物として種(しゅ)をつなぐ役目を果たすのだ
とか言い訳くさく銘打ってみたりみなかったり
しながらぐあっとハンドル切った
いや?
そんな能動的なものだったかどうだか
流れがあったから流されてきただけかもね
なんにせよ今はそのルート上
語彙云々以前に自分の内面を注視する隙もない
いやもっとそれ以前に物思う隙自体ない


それは良くないようでいて
良いことでもあって
まあどうでも良いこと

十年一昔

あれは2005年12月17日で
今日は2015年12月17日で
10年前に鳴り終えた音があって
10年間聴き続けていて
何度聴いても肺のあたりがぐぐくとなる
そんなこと未だに言ってんの私だけ
当人でさえも忘れてるんだろうな
(あるいは忘れているフリをする)


大切な感覚を日々薄れさせている
次第にそのこと自体気付かなくなる


それでも20年経ったってきっと
聴いている

これは傍観

大切な感覚というよりは
ずーっとそれしかなかったので
選択の余地なく慣れ親しんでいた感覚?
なんにせよキャパシティは限られているので
駆逐される
痛々しくもわたし然としたわたし(らしきもの)


今世も半ばを過ぎて
お勤め果たしてまいります


ケッコン。

あれから

何年経ったと思う?
9年だよ、9年。
時期的なものなのか、
こないだ夢に見たからか、
またこの音しか聴きたくならない。


思い入れ?
執着?
無い物ねだり?


失くしたものを惜しいと思ったり
亡くしたひとを愛おしいと想ったり
過ぎ去った時間をあの頃は良かったと言ってみたり


ないものほど宝物になる

入院5日目

ほー。
もうそんなに経ちますか。


6/2 入院。血液検査とか。
6/3 手術。全身麻酔の不快なトリップ感。
6/4 いろんなチューブが外されて歩かされる。
6/5 午後にシャワー浴びたら元気になった。
6/6 朝いち、お気に入りのナースが検温に来てくれてご機嫌。


病院食がまずいなんて昔話だろう、と思ったら本当にまずい。
まあ、寝てるだけで3食時間通りに出てるだけでありがたいわな。


4人部屋で、常時カーテンで仕切ってて顔もわからなものの、
見舞客やナースとの会話やカーテンの開閉で、性格がわかる気がする。
昨日から隣のベットに来た人は手術がまだだから元気に不遜。
向かいのベットの人は夫婦揃って優しそう。
斜め向かいの人は土屋アンナ調。
私はどう思われているやら。なるべく気配は消しているが。


あまりにもすべきことが無さ過ぎて、
かと言ってやりたいことをやれる体力も気力もなく、
ただ漫然と生かされている。。。
療養という名目がなければ、くさってしにそう。
療養という名目があっても、少し回復してくると生まれ出づる罪悪感。


何かせねば
何かせねば…


とりあえず、メロン食お。

思想脳老

もう久々過ぎて写真の上げ方もようわからん


もういくつ寝ると
病院送り


いやしかし
ここ数年のニキの暗さ


まぁ人生も後半にさしかかれば
暗いことの方が増えてくるわな
人生前半を無意味に暗ぶって過ごした時間を
悔いる
なんていう無駄はしない程度の老成具合で
ひびたのしくやっておる


特にお伝えしたいことはありません。